プライド
ご挨拶
ITの現場では、様々な職種が一つの目標に向かって邁進しています。
私達SHADOは特に、その中の「大いなる、雑用」と言われている仕事がかなりを締めます。
これは、プロジェクトのプロセス内の作業を円滑に行うための、雑用と呼ばていて、見落とされがちな仕事がプロジェクト成功には不可欠でありますが、それがあまり認知されず、お座なりにプロジェクトが進んで失敗してしまうことが多いです。
これは、誰でも気がついているはずなのですが、コミュニケーションが上手く行っていないとが顕在化せず、同じことを繰り返してしまうと思います。
この「大いなる、雑用」はマネージメントの一部であったり開発の一部、テスト工程の一部であったり様々です。
言ってしまうと、この「大いなる、雑用」は、機械で言うところの潤滑油なのかもしれません。
機械製品などの部品一覧には決して登場しないが、なくてはならない潤滑油。
これがSHADOの考える、コミュニケーションではないかと思っております。
私は数社起業していますが、自社の本質的なコンセプトをこの「潤滑油」であると確信し、過去には社内外に発信していたことがあります。
その連載を読んでいた私をよく知る人にお会いすると、あの連載が読みたい、また新しくできないのか、と言われることがありました。
しかし、今はもうデータも残っておらず、それであれば、時間も経過したことから、今の視点で新たに書き起こし、復活させて、今の思いも載せたいと思いました。
本文は、私からSHADO社員に向けたメッセージでもあります。私がこう思ったその思いがSHADOという会社として誕生したことを知ってほしいと考えて執筆しました。
しかしながら、社員へと言うのは「現場で活躍されているエンジニアの皆さん」、と置き換えて読んで頂くと、とても嬉しく思います。また、これからパートナーとなります皆様には、弊社を知るきっかけになってほしいと思っております。
この連載を通して、何かを感じ取っていただければ幸いです。
※本文中に「人の和」という表現がありますが、私の思いは「和を持ってなす」と考えており「和」という文字を選択しています。
プライド
人はそれぞれプライドがあると思います。このプライドという言葉は残念ながらあまり良いイメージで使われないことも多いですね。
プライドを持つことと、プライドが高いこと、これは私が考えるにどちらも良いことだと思います。
しかし、特にこの『プライドが高い』という言葉はイメージが悪い。
なぜでしょうか。
まず辞書で調べてみましょう。
プライドという言葉の定義を調べてみると、
-誇り
-自尊心
-自負心
-矜持(きょうじ) となっています。
誇りとは、自慢に思うこと、ほこること、得意と思うこと、だそうです。
自尊とは、自ら寛大にかまえること、自らを高ぶること、で、自尊心とは、自尊の気持ちということになります。しかし、この自尊心ということも曲者です。別の言い方をすれば、自分の尊厳を意識しそれを主張して他人の干渉を許さないという気持ちや態度ともいえるのです。
自負とは、自分の才能を誇ることですが、これもうぬぼれという反対の表現ととられることもあります。
矜持(きょうじ)とは、プライドそのものといった感じで、自分の能力を信じて抱く誇りという意味です。これも、過剰になれば、うぬぼれといえなくもないです。
自分の中ではこの矜持(きょうじ)がプライドの正体なのかなと思うこともあります。
なるほど。確かに言葉の意味や定義、印象は、裏も表もありますから、イメージが悪くなってしまったり良くなったりするわけです。
ともすれば悪く扱われるプライドという言葉。
実は、私にとってプライドという言葉は、とても良い言葉だと思っています。言い方を変えれば、私はプライドを高く持ちたいと思っています。何故かという前に、まずは私が思っているプライドの話しをしなくてはいけませんね。
さて、似た言葉に『自信』という言葉もあります。これがでてくると分かりやすいかもしれません。
プライドという言葉に深くダイブしてみましょう。
ネガティブな印象の正体は!?
自信とプライド。似ているようで違う言葉ですね。
私は、どちらも必要だと思っています。
しかし、これを明確に切り分けることができる人は少ないのではないかと思います。自信を持っているからプライドがある、ともいえそうです。
言葉には定義があって、そういった意味では明確に分けることができるはずですが、まず、私たちの一般的な感覚として考えてみると、やはりきっちり線を引くのは難しい。悩んでしまって堂々巡りしそうです。
要するに、自分の大切なプライドというものをちゃんと言語化できている人が少ないからではないかと思います。
一方で、意外と当たり前すぎるのかもしれませんね。
プライドが「高い」、というとネガティブな印象があるのは、この自信とプライドがごちゃ混ぜになっているからではないか、と思っています。
例えば、プライドだけが高い人(そう見える人、立ち振る舞いがそうな人)、敬遠されますよね。というか、もうどの社会でも和に入れてもらえないでしょう。
しかし、ここでプライドが高いと言われているのはひょっとすると「プライド」だけを見て言っているのではないでしょうか。
難しいのは、自分ではそう思っていなくても態度や立ち振る舞いで、プライドだけが高く見える人がいることです。本人は気がついていませんが、周りは、この人はプライドが高い、と見てしまうことは良くあります。
もちろん、このとき使われているプライドという言葉は決して良い意味ではありません。
これは自分の「プライド」がにじみ出ているということではなくて、周りが見た周りの「プライド」がそう見えているのだと思います。
つまり、自分のプライドを、他人は同じように見てないということにもなります。
逆に自信を秘めている人、矜持(きょうじ)のある人、そして、そのことにプライドがある人は、どうでしょうか。
きっとそんな人の立ち振る舞いは、周りに受け入れられるのではないでしょうか。
これは簡単に言うと、プライドが高い人(高く見える)はプライドが高くて自信が無い人、その逆が、自信があることにプライドがある人と言えます。
なんとなく、分かってきたような気がしますね。
プライドが悪く思われてしまう原因は、そのプライドの裏付け(自信)のない人が、自身のプライドだけが高く見えてしまうと、あまり良い印象を受けないからではないでしょうか。
私は、ひょっとすると、プライドの正体があるのではなくて、自信や矜持(きょうじ)を包むようにプライドが存在する、のではないかと思い始めました。
自信や矜持(きょうじ)がない人は、過度に、『人からの評価』や『自分の自尊心を守ること』を気にします。上司や目上の人にはぺこぺこするが、部下や同僚にはつっけんどんな対応をする。これは自信の無さの現われではないかと思います。
つまり、見えているのは「プライド」ではなくて、自尊心そのものなのかもしれないですね。
また、人を見下すような態度をとる人は、常に自信のない自分が安心できるように自分より劣る人を見つけることに心血を注ぎます。そうです。自信が無いために、自分を大きく見せるために「プライド」だけが前面に出てくるように見えるのです。
しかし、これは実態は「プライド」ではないと私は思います。
これは話にならないのですが、相手が女性であったり、たとえ上司であっても明らかに態度が違う人、これはプライドとか自信以前、人としての資質を疑われますね。もちろんSHADOにはそんな人はいませんが。
自信や矜持(きょうじ)の無い人のエゴを見て、プライドが高いから、なんて思うわけですから、プライドという言葉自体、とても印象が悪いです。
なんてかわいそうなプライド!?
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